裏の厨房で反省してます

許して アタシのでたらめ人生

おばさんバイト、人生を振り返る 料理長と先生

 

居酒屋厨房で働く富士子(45歳)です。

こんな夜更けに一人酒。

料理長(かっこいい)について考えました。

 

 

あたしが、どうして料理長に憧れるのかっていうとね。
料理長が、先生に似ているからだと思う。

 

あたしは、10年間ほど、作家の先生の事務所で働いていた。
先生は、スタッフを抱えて作品を作る人だった。
スタッフには、仕事ができる人も出来ない人も、勤務態度が悪い人もいい人もいた。
一筋縄ではいかない、やっぱり作家志望のスタッフたちをまとめあげて、
毎週毎週作品を発表していた。

 

あたしが勤めた頃は、もう先生は、新作は書いていなくて、
過去の作品の著作権料だけで、充分食べていける状態だったけど、
もう現役ではない自分のことを痛めつけるように、毎日アルコールに浸っていた。

 

あたしは、資料室にあった古いアルバムや、原稿庫に眠るたくさんの原稿、
書庫にある山のような単行本に、現役で活躍していた先生の姿を見た。

先生は、職人の緻密さとプライドと、スタッフの力を引き出す人間的な魅力で、
これらの作品を作ってきた。

その作品は、当時の子どもたちはもちろん、大人にも愛された。

 

あたしが働き始めたとき、すでに先生は大御所だったけれど、
新人事務員のあたしが緊張しないよう、心配りをしてくれた。
なんの仕事も出来ず、右も左もわからないあたしに、暖かく接してくれた。
いつも酔っ払っていたけれど。

 

あたしは、時々、先生に仕事のお願いをした。
ちょっとした書き物やコメント、新人賞の作品の審査など、資料を持ってそばに行く。

先生は、お酒のグラスを置いて、ペンを持つ。
さらさらと、原稿用紙に書く。
あたしは、邪魔にならないよう、息をつめて先生の手元を見つめる。
先生は、じっと書き、消し、また書く。
お酒のせいで少し乱れていた線が、ゆっくりきれいな線になっていく。
そんなとき、原稿用紙さえも、先生の線を心待ちにしてじっと息をつめているようだ。
震えていた先生の手も、次第に力強くなって、生き生きとした線が生まれてくる。
あたしは、強い憧れと期待を持って、先生の手元と原稿用紙を見つめる。

 

先生は、ふと、あたしのまなざしに気が付いたように、こっちを見る。
「ん? どうした?」って声をかけてくれる。

 

「え、あ、いえ」って、あたしは戸惑ってしどろもどろになる。
先生は、ちょっと微笑んで、また原稿用紙に戻る。

 

そんな時、部屋の中は静かで、先生のペンの音だけが響いている。
あたしは、世界で一番幸せな時間の中にいるように感じる。

 


あれからもう、何年も経って、先生は天国に逝ってしまった。
あたしは先生の奥さんにもとても良くして貰ったけれど、奥さんももう天国だ。

 


今の厨房で働き始めたとき、どうしていいかわからないことがたくさんあった。

いつだって、料理長は魔法みたいに料理をしていて、とても、声をかけられる感じではなかったけど、困って料理長のほうを見ていると、必ず、料理長は気づいてくれた。

「どうしました?」って、声をかけてくれた。
あたしは安心して、次の作業にとりかかれた。
そのことは、なにかすごく大事で暖かいもののように思えた。


働き始めて数日経った頃、お風呂に入っていたときに、突然思い出した。
料理長に、「どうしました」って言ってもらえるあの瞬間は、
先生との時間とすごく似ている。
何も出来なくて、ただいるだけのあたしをそのまま受け入れてくれた、
優しい先生との暖かい時間と、すごく似ているんだ。


突然、涙があふれて止まらなくなった。
先生と会いたいけど、もう、先生はどこにもいない。

 

あたしは、先生が亡くなったあとも働いていたけれど、
結局、事務所を追われる事になった。
それは、すべてあたしの落ち度で、身から出たさびだった。

 

もう二度と先生の仕事ができなくなって、どこにも居場所をなくしてしまい、
あてどなく仕事を探して、たどり着いたのが厨房だった。

 

厨房の人たちは、毎日お料理を作っている。
人に食べさせるために、魔法のように包丁を操って、
お鍋やオーブンから美味しくて暖かい料理を作る。
職人の丁寧さと繊細さをもって、出し惜しみせずに厨房に立つ。
料理長は、ベテランも新人もいるスタッフをまとめて、
どんなに忙しいときも、確実にお料理を出していく。

 

あたしは、先生が作品を作っていく姿を想像しながら、
憧れと期待を持って、厨房の人たちを見る。

 

あたしは何も出来ない。
いるだけだ。

 


あたしがどうして料理長に憧れるかっていうと、
料理長が先生と似ているからだ。

職人の繊細さやプライド、スタッフへの目配りや暖かさ、
ひょっとするとお酒にひたりかねない種類の優しさ。


あたしは、そのどれも持ち合わせていない。
がさつで、自分の事ばかりを考えていて、図々しくて、結局は仕事を失った。


これからも、あたしはずっと、料理長にただ憧れて、厨房で働くんだろうか。
それとも、いつか少しは、料理長みたいになれるんだろうか。


わかんない。

わかんないけど、出来るのは、毎日きちんと働くことだけだ。

明日もがんばろう。

うん。

 

 

一人酒に任せての、一人語りになっちゃった。

てへっ!


読んでくれてありがとう。