裏の厨房で反省してます

許して アタシのでたらめ人生

おばさんが子どもの頃、テレビは…

 

居酒屋厨房バイトの紅一点、富士子(45歳)です。

昨日、キッチン男子の大久保くん(仮名、24歳)を、大人としてご紹介しましたが。結構、絶賛したんですが。



今日ね、賄いを美味しく頂いてるときにね、大久保くんったらね、

「富士子さんが子どもの頃って、テレビはモノクロでした?」

って聞いてきやがったのよ。

 

カラーだったわよ。生まれたときからカラーでした!

 

って言いたかったけどね、とっさのことで、言葉に詰まっちゃってね。そしたらルドルフ先輩(推定34歳と思ったら38歳だった)が、「相当馬鹿にされてますよ、富士子さん」っつって、追い討ちをかけてきやがってね。なんなの、この連係プレー。なんなの、このアウェーな感じ。

 

でもまあ、現在45歳って、モノクロ派がいてもおかしくないのよね。当初、総天然色って言われてたカラーテレビを、メーカーが盛んに宣伝し始めたのが1964年のオリンピックあたり。1968年頃には、松下電器(当時)や日立、ソニーから低価格のカラーテレビが発売されて一気に普及、1973年にはモノクロテレビを上回ったわけ。あたしが生まれたのは1969年で、物心ついた5歳ごろっていうと1974年。世間的には、モノクロもカラーも混在してたはずなのよ。まあ、あたしは上に兄弟がいたし、親も新しいもの好きだったから、富士子家は一致団結して早々にカラーを導入したんだと思うわ。

 

だからね、大久保くん(24歳)の質問も、あながち的外れじゃないんだけどね。それはわかってるんだけどね。よーくわかってるんだけどね。普段から、年の差をビシバシ意識してて、意識しすぎて「ガキの使いとか、あたしも好きだよー」アピールしつつテレビの話題についてってる微妙な乙女(許して)としてはね、「俺らとはガッツリ世代がかけ離れてますよね」って念押しされたみたいで、ちょっと挫けそうになるわけ。

 

なによ、なによ!そりゃー、携帯とかwebとかさすがになかったしさ、電話といえば家電で、ボーイフレンド(まさか死語?)と電話するときは親が出ちゃうと恥ずかしいから時間を決めといたりしてさ、でも下の弟が出ちゃってニヤニヤされて「あんた、あっち行っててよ!」なんて受話器を押さえて追い払ったりして、LINEでおやすみなさーい(はあと)!なんて考えられない時代だったけどさ。そもそも、テレビだって、親が野球見てりゃあ、子どもは我慢。「録画機能」なんて言葉すらなくてね。諦めるしかなかった。きんちゃんは良いけどドリフはダメ、なんて言われて、「全員集合」見るために兄弟で皿洗いして親の機嫌とったり、家でのひげダンスは自粛したり、そりゃあ、苦労しましたけどね。チャンネルは丸いダイアルをガチャガチャ回すやつで、弟と取り合ってたら外れちゃって、ペンチで回してたしね。しばらく、ペンチの定位置はテレビの上だったしね。おばあちゃんちのテレビには、ブラウン管の前にカーテンかかってたしね。映りが悪いときは横っちょをバンバン叩くと直ったりしてね。

ま、大久保くん(24歳)からしたら、歴史博物館的な「へえー」な話ですけどね。

 

それでも、テレビはカラーでした!大久保くんと一緒なんですよーだ!! 

昨日ブログで褒めて損したっ!ちっきしょー! (C)小梅太夫(ちなみに42歳)

 

ああ、キッチン男子たちの仲間に入れる日は来るのか。

明日もがんばるよ。もう、がんばるしかないよ、富士子!